2011年07月28日
いわき市久之浜地域の被害:死者63名、不明者12名、全半壊505戸
久之浜地域は、3.11被災以来2ヶ月間、ボランティアも行政も全く入らず、他の地域より復興が遅れいてる地域です。福島第一原発から30キロメートルに位置します。
この地域は、高齢者のみで住んでいるお宅も多く、また、同じ久之浜地域でも北町・中町・南町・東町に別れ、他の町とはあまりコミュニケーションを取らず仲が良くなかったといいます。避難訓練も行わず、防災に対する意識も少なかった様です。被災された方は、第一波で倒れたテレビなどを直している時に、第二波で被害を受けたとのことです。
地域の中ほどに位置する諏訪神社を拠点に、一部の若者がボランティア活動をはじめ、今では多くのボランティアが入っています。
5月下旬から片付けを始め、最初に手を付けたことは
・側溝の泥上げ
・冷蔵庫の撤去
・布を片付ける
以上のことで、いずれも腐ってしまって臭いの出るもの、海水に濡れたままで虫が湧く・カビが生えているものの撤去とのことです。私が参加してみて、臭いの覚悟はしていましたが、説明いただいたボランティアの方の話を伺って、なるほど酷い悪臭ということではありませんでした。
さて、私は家主さんが立ち会う中、地元ボランティアの方と大人約40名で一日掛けて一軒のお宅の片付けをしました。可燃物・不燃物・ビンやプラスチック、その他木材や家具・電化製品・畳やふすま・サッシにいたるまで、一つ一つ分別しながら撤去していきます。特に危険なことは、ガラスの破片がくまなく家の中に散乱していることです。そのガラス片も一つ一つ手で拾っていきます。ボランティアの皆さんは、あまりの惨事に言葉もなく黙々と作業をしていきます。しかし、撤去といっても、当然、大切な物もあるわけで、お位牌が見つかったときには、ボランティアの方々のホッとした様子が印象的でした。
私は、今までなかなか機会がなく、被災地というところに足を運んだのは今回が初めてです。
早朝、沼津を出発して、久之浜に向かう5時間はあっという間で、案外近いなと思ったものでした。しかし、帰りの5時間は沼津までの道のりが本当に遠く、とても疲れているはずなのに、目にした現状が受け入れられず心の整理ができない状態にありました。発災から4ヶ月。1週間前より電気も付くようになり、インターネットも使えるようになっていました。だいぶ片付いてからの被災地入りだったわけですから、きっと本当の悲惨な実情を見たわけではないかもしれません。しかし、この経験を是非、三島市の防災に生かしていけるように心に留めたいと思います。
家主さんが「皆さんに片付けていただいて、ここから立ち直っていけるような気がする。」と、いってくだっさたのが印象的でした。
一緒にボランティアに参加された皆さん。大変お世話になりました。そして本当にお疲れ様でした。
久之浜地域は、3.11被災以来2ヶ月間、ボランティアも行政も全く入らず、他の地域より復興が遅れいてる地域です。福島第一原発から30キロメートルに位置します。
この地域は、高齢者のみで住んでいるお宅も多く、また、同じ久之浜地域でも北町・中町・南町・東町に別れ、他の町とはあまりコミュニケーションを取らず仲が良くなかったといいます。避難訓練も行わず、防災に対する意識も少なかった様です。被災された方は、第一波で倒れたテレビなどを直している時に、第二波で被害を受けたとのことです。
地域の中ほどに位置する諏訪神社を拠点に、一部の若者がボランティア活動をはじめ、今では多くのボランティアが入っています。
5月下旬から片付けを始め、最初に手を付けたことは
・側溝の泥上げ
・冷蔵庫の撤去
・布を片付ける
以上のことで、いずれも腐ってしまって臭いの出るもの、海水に濡れたままで虫が湧く・カビが生えているものの撤去とのことです。私が参加してみて、臭いの覚悟はしていましたが、説明いただいたボランティアの方の話を伺って、なるほど酷い悪臭ということではありませんでした。
さて、私は家主さんが立ち会う中、地元ボランティアの方と大人約40名で一日掛けて一軒のお宅の片付けをしました。可燃物・不燃物・ビンやプラスチック、その他木材や家具・電化製品・畳やふすま・サッシにいたるまで、一つ一つ分別しながら撤去していきます。特に危険なことは、ガラスの破片がくまなく家の中に散乱していることです。そのガラス片も一つ一つ手で拾っていきます。ボランティアの皆さんは、あまりの惨事に言葉もなく黙々と作業をしていきます。しかし、撤去といっても、当然、大切な物もあるわけで、お位牌が見つかったときには、ボランティアの方々のホッとした様子が印象的でした。
私は、今までなかなか機会がなく、被災地というところに足を運んだのは今回が初めてです。
早朝、沼津を出発して、久之浜に向かう5時間はあっという間で、案外近いなと思ったものでした。しかし、帰りの5時間は沼津までの道のりが本当に遠く、とても疲れているはずなのに、目にした現状が受け入れられず心の整理ができない状態にありました。発災から4ヶ月。1週間前より電気も付くようになり、インターネットも使えるようになっていました。だいぶ片付いてからの被災地入りだったわけですから、きっと本当の悲惨な実情を見たわけではないかもしれません。しかし、この経験を是非、三島市の防災に生かしていけるように心に留めたいと思います。
家主さんが「皆さんに片付けていただいて、ここから立ち直っていけるような気がする。」と、いってくだっさたのが印象的でした。
一緒にボランティアに参加された皆さん。大変お世話になりました。そして本当にお疲れ様でした。
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